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会長からのメッセージ −その21−

「目標」

 メッセージ原稿を送り終えてほっとしていると、いつものように事務局のSさんから受け取りメールが来た。今回はそこに、目標まであと80回ですね、と書き加えてあった。うへ!先は遠いな!というより毎週1回書くとしても、来年12月までには100回までは行かないのであった。最初から計算が間違っていたのか? 100などという数字は、私の算法では1,2,3,・・・、10、たくさん、100、横8といった感じの数字である。そもそも、そのような目標を設定したのが誤りではなかったか。

 学生諸君にはなむけの言葉などと頼まれたときに、私なんかがもっともらしいことを述べたとて、などということが頭をよぎるので、なかなかまともな言葉が浮かばない。それでいつも、大人は大きな夢を持ちなさいなどというが、大きな夢など持ってはいけません。小さな、達成可能な目標を決めて、一歩ずつ達成して行きなさい。と、言うことに決めていた。これは、多少奇をてらって、他人とは違うことを言ってやろうということではあるけれども、本音でもある。それからするならば、たくさんと無限大の間に横たわる、はるかなる目標を設定したことじしんが大きな誤りでありました。

 というわけで、第1回に書いた目標数字についてはもうお忘れ下さい。私としては、とにかく、来週のメッセージをなんとか事務局長に届けることを目標とさせていただきます。

 それで今回はメッセージをどのように書いているかについて。とりあえず書こうと思う題材とか標題だけでも、「まず書いておく」ということをやっています。とにかくそれだけでもあると、頭のどこかにインプットされていて、なにかの拍子に文章が浮かんでくる。それは頭のなかで勝手に増幅を始め、いろいろ変形して渦をまきはじめる。ある程度の段階でそれをたぐり寄せ、定着させる。これらを書いた紙切れを、微文積文学と書いたファイルに放り込んでおく。以前は封筒に、「微文積文学」と書いて、机の横にぶら下げていた。まじめな学生さんが、先生この字は間違っています、と教えてくれたこともある。いまはパソコンの中にそういうファイルを作っているだけだ。

 では微文が積文されていくかというと、そういうケースは少ない。僕の頭はそういうのには向いていないようだ。学生時代には梅棹先生や川喜多先生の知的生産の方法やKJ法がもてはやされた。僕もカードを買ってきて始めたがうまくいかなかった。1−2枚カードを書くうちに文章が浮かんできて、結局これなら、最初から原稿用紙に書き始めたほうがよかった、ということになってしまう。それでも無理をしてでも、カードに書いていれば、もっと分析的な仕事ができていたかもしれないな。 今回のメッセージのなかで、随分前に書いて置いて役に立ったのは、1編だけである。坂上昭一先生のことを書いた「地区会」に関する文章。これは前に属していた地区会で、会報のようなものを出すという話題が出ていたので、そんなことになれば原稿を頼まれるに違いないと、早手回しに書いておいたもの。結局、会報出版は沙汰止みとなり、この文章も不要となったので再利用させていただいた。

 ただし、僕は前に書いたように小心者であるので、何編かの予備は常に蓄えている。蓄えがあると安心なのだ。じゃ、それらの予備を順々に投稿しているかというと、そうはならない。それらは安心のためにあるだけで、大体新しい原稿を作って投稿しています。次回は、それら蓄えのなかから、挿し絵についての文章を送る予定。

▲去年の春は退職と引っ越しで、京都ではお花見をし損なったので、石川県に来てから金沢の町へ出かけた。犀川に沿って満開を過ぎたサクラの花が散り始めていました。