目次へ

会長からのメッセージ −その23−

「読書」

 私は一廉の読書家であった。小学生の頃まではね。それ以後も活字には目を曝しているが、読書家といえるほどのものではない。つまり私の教養は小学生の頃に形成されたことになる。道理でものの考え方が幼稚だな。家は普通の商家であるから、本などはなかった。ところがどういうわけか、2階の押入に、改造社の「現代日本文学全集」というのと、新潮社の「世界文学全集」が押し込まれていた。これらは、昭和初期に盛んに発刊された円本という全集ブームのはしりの頃の出版物で、多分一冊1円で配本され、特に改造社のそれは爆発的に売れ、出版と、大げさにいえば日本の文化を変えた画期的なものだったらしい。著作者も潤って、著作家というような「やくざ」稼業が社会的に認知される安定した職業として認められる契機となったとも言われている。永井荷風などはこの全集にたいして随分毒舌を吐いていたが、ちゃっかり印税は貰っている。すなわち、読書とは縁のなさそうな、商家の2階の押入にまで、それらがあったということは、そのブームの大きさと、出版文化への大きな影響とを物語るものではなかろうか。誤解のないように断って置くが、僕がそれらをむさぼり読んだのは、昭和の中期だから、出版からは20年以上後の話です。

 1円という値段が安いか高いかはよく解らないが、その本は活字がぎっしり詰まっていて、情報量が豊富であったことは間違いない。大判の1ページに3段組で組んであったような気がする。「夏目漱石集」であれば、「坊ちゃん」、「草枕」、「道草」などが丸々入っていて、その他に「硝子戸の中」などの随筆と「吾輩は猫である」が半分入っていた。これだけの分量が1冊に詰め込まれていたのだから、割安だったのだろうな。

 最初にとりついたのが大佛次郎集であって、読んだのは「赤穂浪士」であった。1ヶ月以上かかって読んだような気がする。その他に「ドレフュス事件」などというのもあった。後から勉強したことによると、昭和初期に軍部が台頭してくることに危機感を持って、フランスの事例にこと寄せて書かれた小説だということであるが、その当時は子供だからそんなことは解らなかったが、その雰囲気は伝わってきていた。明治期の作家としては森鴎外、夏目漱石、尾崎紅葉、樋口一葉、正岡子規、国木田独歩、幸田露伴、二葉亭四迷、坪内逍遙などが入っていたが、さらに明治開化期小説集などというのもあって、後から考えてみると江戸時代の戯作と近代小説の境目みたいなものがあった。矢野流渓?だったかの「佳人の奇遇」だとか、「安愚楽鍋」(著者失念、いま思い出しました仮名垣魯文)などという文学史でしかお目にかからないような名前があった。これらは小説が多かったから、読んで筋を追うことができた。正岡子規のは小説よりも「歌詠みに与うる書」などという評論だったけれども、古今集はつまらん歌集で、貫之は下手な歌人だという論を面白いなと思って読んでいた。

 こういった比較的有名な人たちの集だけでなく、高山樗牛、三宅雪嶺、姉崎潮風などと今聞いたらどんな人かわからんだろうというような集もあった。時代の新しい人の集としては武者小路実篤、志賀直哉、谷崎潤一郎、芥川龍之介、久米正雄、菊池寛、横光利一などというのがあった。これらは読みやすかったから、面白がって読んでいた。久米正雄の「破船」というのは失恋物で失恋した相手は、夏目漱石の娘だということは、読んでいる内に薄々解った。恋いを得た方は松岡なにがしで、その娘さんを妻としているのが、今、現代史などで活躍して居られる半藤一利という方だというのはもちろん後からの知識である。菊池寛集には「真珠夫人」という、小学生の私が見ても、べた大衆小説みたいなのが入っていたが、それが最近どういうわけか復刻されて本屋に並んでいる。

 その他にこの全集には、社会主義文学集、プロレタリア文学集、少年文学集なんかもあって、前者には大杉栄の「日本脱出記」とか「自叙伝」とかが入っていた。この人は文章に流れがあり、随分読みやすい文だった。後から知ったことだが、大杉にはファーブル昆虫記とか種の起源の翻訳もある。小林多喜二の「蟹工船」とか「地下生活者の手記」などは伏せ字だらけで読みにくかったが、面白いと思って読んでいた。伏せ字とはいかなるもので、なにゆえ伏せ字となっているのかは、小学生の私も理解していた。佐藤春夫の「美しい町」とか幸田露伴が少年向けに書いた科学読み物なんかが、少年文学集には入っていた。前者は美しい童話で、今でも読み返してみたい本である。

 今回は本の名前を挙げるだけで終わってしまった。こんなのなら楽だからいくらでも書くことができそうだ。しかし会長からのメッセージに、こんな気楽なものを書いていてよいのかという反省はある。実は書かなければならないことがないわけではない。どころか、書かなければならないことが多いのに、それぞれ重大なことなので筆が渋っているというのが実状なのです。

▲今回の挿し絵は、隣町金沢から野々市町の方向を見下ろした図。野々市町は全く平坦でその町域に山がない。