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会長からのメッセージ −その24−

「懸案事項」

 今期第3回の常任委員会が近づいてきました。一般の会員の方々には関係がないことかもしれないが、日本生態学会の将来にかかわることをいろいろと議論しなければならぬ。といって意気込んではいるのですが、実は日常業務的なことが多いな。日常業務的なことだけを議論するために集まるのはいささか馬鹿げている。というより、旅費を使って集まり日常的なことだけ決めているのはまずいのじゃないか。日常に流されていては手を付けにくいことを議論し、着手していかなければならない。

 それでどんなことを議題にすべきか、考えてみると。メッセージの最初のほうに書いたことだが、新しい学会賞についてはもう議論すべきことはない。報告事項のはずである。これは私の公約でもあるので、とりあえずよかった。法人化についてはどうなったのだろう。前の委員会ではワーキンググループを作って議論することになっていたが。ワーキンググループが作られたことは確かだが、その後議論が始まった様子がない。とても忙しい人に仕事を頼んでいるので、なかなか進まないのはやむを得ないのだが。有能な人ほど忙しく、仕事は有能な人に頼む以外に進みようがないので仕方がない。私のように暇人でも、全く無能な人間はやきもきする以外にどうしようもないわけである。生態士の問題についても、前回の常任委員会から次回へと議論を煮詰めていくものと理解していたのは僕の誤解であったのだろうか。事務局の議事録によると、実行するにしてもカリキュラムを充実させなければいけないので、「自然再生ハンドブック」の発刊に力を入れるということになっている。それならば、その係りの人に頑張っていただくしかないか。来年の何月に第1回を実施する、などと強引に旗を振らないと動かないのではないかと考えていたのだが。倫理規定についても議論することになっている。これは今日当たり集まって居られるはずである。

 急ぎの問題の一つは、「日本生態学会誌」の次期編集委員長である。なかば予想していたことであったが、公募した編集委員長に対して応募者は無かったという。うーん。雑誌の編集などというのは、研究とはまたひと味違った、面白い仕事だと思うのだが。研究を料理にたとえれば、メニューを考え、配膳を考えるみたいな。それぞれの料理がさらに引き立つように、より食欲を増すように。相乗効果によって、全く新しい味が生み出されないでもない。また例えれば、シンポジウムの企画をするような。そういったエディターシップの問われる仕事ではないか。研究よりもそういった仕事に向いた人もいると思うのだが。そうではなくて、研究能力と相関があり、駄目なやつは所詮駄目なのか。だんだん八つ当たり気味になってきたぞ。Ecological Researchは次々期の編集委員長を決めなければならない。次期はもう決まっているのだが、次々期が決まらない限り、次期は引き受けられないとおっしゃっておられる。その次がきまらないまま引き受けて、いつまでもずるずると引っ張ってはたまらんということです。うわさによるとKikuzawaなどという名前がでているという。これは現委員長が次期のかたを安心させるために切られた、さして強力でない札であるようだ。こんな年寄りに次期ならともかく次々期まで約束するのは無理なようで、とても切り札とはいえないだろう。

 大会の準備のほうは着々と進んでおり、とても心強い。ここしばらく、コンベンションセンターのような大きな会場を借りることが多かったが、次回は久しぶりに、大学の建物をお借りして開催することになった。そのぶん現地実行委員会の方々は大変であろうが、どうぞよろしくお願いいたします。大会の特色の一つは自由集会である。様々なトピックについて催されるもの、なんとか研究会と銘打って、いつも固定的に行われるもの、その中間的なものなどある。萌芽的な研究会がやがて大会のシンポジウムに発展していくというのもよくあることだ。いつも同じメンバーの研究会などは、自分たちで別にやればよいのじゃないの。という議論もあるがそうではない。別にやれば、準備も大変だし、参加者も余分のコストがかかる。1回の大会で2度おいしい、という利点があるのだろう。自由集会の数が増えすぎて、全部を受け入れられるかどうかが問題になってきている。(今回は全部受け入れていただいたようであるが。)そんな場合でもあくまでも「自由」なんだから、「審査」をするとかではなく、抽選で選ぶしかないのかなと考えている。

▲先日から平地でも白いものが雨に混じりだした。もっともこの絵は今年の2月に描いたものだ。