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会長からのメッセージ −その32−

「大会プログラム」

 次回大会のプログラムが届いた。既にホームページで公開されていたので、感激は薄いが、紙のプログラムはまた別の味がある。一覧性があって、同時刻に別の会場では何があるかが解る。僕はこれが好きで、隅から隅まで嘗めるように見る。誰がどんな発表をされるのか、これは面白そうだ。自分の発表も含めて、聞いてみたいものには印をつける。でも、実際に聞くのは5分の1程度である。これは会期中に用事があることにもよるが、仮に時間があってもそんなに会場をうろうろできないという理由にもよる。移動すると、会場はすでに満員で発表もはじまっている。人の肩のあいだからスライドをのぞき見てもよく理解できない。こんな状態では質問もできない。ということで会場鳶は得策ではない。午前中はA会場というように決めて動かないようにする。無印の発表も聞くことになるが、これが結構ひろいものであったりもする。一般講演口頭発表というのが僕の好みである。発表12分、質問3分、超過は許されない。制約が厳しいほうが緊張感があって、良い。ポスターは、聞き手としても発表者としても、僕には難しい。発表者として難しいのは、興味がありそうな、なさそうなといったポジションの人に、声をかけるべきかどうか、どのように声をかければよいのか。あるいは、熱心に質問して下さる人にお相手しながら、しかし他の人にも説明が必要じゃないのか、などと気を配ることとか、なかなかうまくできない。要するに不器用なのである。それで時間制約のある発表を決められたとおりこなすほうが楽ということになる。

 大会についての不満は聞きたい講演が重なってというのが多い。その点はポスターがかなり解消してくれる。前の発表者が座長をつとめるという方式は定着しているが、強いていえばこれは問題かな。質問者があれば、指名すればよいだけだから誰にでもできるわけだが、無いときに、呼び水になるような簡単な質問を座長ができるかどうか。経験の浅い人には少し難しい場合がある。それと次の発表が中止になったときは、休憩・解散にせずに、臨機に総合討論でもやればよいのだが、これは若い座長には難しいだろう。何件かずつまとめて、専門の近い人に依頼したほうがよいように思うが、誰が決めて、依頼のメイルを誰が出すといったことを考えると、昔に戻ることは不可能なのだろう。

 ポスドクのS君は某大学の公募の最終まで残ったそうです、ということを現在の受け入れ教授であるTさんからうかがったのは昨年の暮れのことであったろうか。最終ということは業績等書類審査は合格ということで、後は本人の売り込み能力であり、そこは彼の得意とするところであるから、決まったようなものだ。僕だけでなく、本人もそう思っていたに違いない。彼は国際誌に立派な論文が5編以上あるが、まだ10本にまではいたっていない。最近は助手の公募は少なく、助教授となると2桁が要求されるから、なかなかしんどいところはある。農学系だと、国際誌でなくても、筆頭著者じゃなくても、あるいは和文であっても、2桁必要というところが多い。一方理学系だと、和文論文などは数に入れて貰えない。つまり市場が一義的でなく、市場によって値の付け方が違う。こんな場合どうしたらよいかというと、売り込み側が市場に合った商品を出荷すべし、ということになろうが、実際の所そうはいかない。和文であれ、英文であれ、国際誌であれ、国内誌であれ、商業誌であれ、とにかくありとあらゆる場所に書いていただくしかない。今日のメッセージは簡単だ。ありとあらゆるところに書きまくれ!。

 ところで最近サクラチルというメールが彼から届いた。残念である。激励のつもりで、業績を早く2桁にと返事を書いたが、激励になったかどうか。大丈夫のようで、こんな場合もジョークを忘れず、子供の数も業績になりますよね。と言ってきた。勿論です。双子の場合は2倍になりますと冗句で返したが。

 社会生物学の新しい波が、私たちのような田舎に住む応用部門の研究者に伝わり始めた頃だから、20年以上昔の話だ。試験場の同僚だったHさんが、社会生物学の本質が解りましたと言う。「それは男の値打ちです」「?!」「社会生物学は男の価値を認めているのです」「今までの生物学では認めていなかったのでしょうか?」個体群生態学では雌1頭あたりの増殖率とかを計算していました。生命表も雌1000頭から始まっていました。最近は雄の繁殖成功とか花粉親としての適応度とかいうこともあるのですね。

 なるほど。良く分かりました。そのことから考えても、女性は子供を産む機械だといって物議をかもした大臣なんかは大きな時代錯誤ですなあ。

▲だいぶ夜明けが早くなってきました。明け方はまだ寒いのですが、昼間はすでに春の気配です。明日は東京で昔の仲間たちを前に講演することになっている。