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会長からのメッセージ −その34−

「社団法人」

 法人化については前から皆さんに説明しています。一番最初の、そして一番くわしい説明は鷲谷前会長が、日本生態学会誌第55巻2号に書かれた文章です。その他に私も、この欄に何回か書きました(今読み返してみると鷲谷メッセージには「公益社団法人」となっていたのに、私のメッセージ4には「NPO法人」となっている。現在私たちは初期の方針どおり公益社団法人をめざしています)。ただし、私たちが常任委員会で、「この方向で行こう」と正式に決めたのは昨年の暮れであります。そして正式に法人になるのは来年の暮れまたはその翌春の予定です。この間に私たちが何をなすべきか?これは矢原次期会長を中心にした小委員会で考えることになっているのですが、私たち執行部としては、次の松山大会の総会で、皆様にこの方向で行きますということを説明し、了解を得なければなりません。

 「法人」というのは、その字面からいって、法律的な人格という意味ですな。つまり学会のような団体があたかも一人の人間のように振る舞うことができるということなのだろう。もしこのようになっていないと、学会としてお金を受け取ったり、支払ったりするのに、会長個人名でやらなければならない。それは会長が2年ごとに代わる今のシステムではすごく不便なことになる。たとえば生態学会は、公開講演会の実行と英文誌の刊行に対して科学研究費から補助をいただいているが、これの受取人は会長である私個人名であるので大変煩わしいというのは、このメッセージでだいぶ前に紹介しました。人を雇う場合も当然同じような問題が生じます。

 ところで日本生態学会の事業というのは雑誌の編集・発行、大会の開催など、つまり生態学に関する情報発信や情報交換であって、決して営利を目的としたものではなく、しかも、メンバーはすこしずつ入れ替わりながらも、50年間存続してきている。そして独立の事務所を構え、相当の予算規模があり、健全に運営されている。こういうのが法人になるための条件のようであるが、その要件は全て満たしている。したがって、私たちの学会が公益社団法人になることについては全く問題がないといえます。鷲谷前会長は「この問題は日本生態学会にとって歴史的転換点ともいうべき大問題です」と書かれているが、私はそれほどのことでもないでしょう、とごく気楽にとらえている。というか、鷲谷さんが日本生態学会誌にメッセージを書かれてから、2年間の間に、事務局の独立とか、会計の整備とかが進んできた。つまり客観情勢がススンデ来たといったほうがよいのだろうな。私たちの周囲の学会もすでに法人化しているところが多くて、それで何か大きな問題が生じたということもないようなので、私たちにとっても、「飛んで」みればなにほどのこともなかったということになるのではないか。

 いま、私たちが予定しているスケジュールは、今年の大会で法人に向けて進むことを承認して貰うこと、今年中に「定款」を作り上げ、来年の大会で承認をいただくこと、そして来年暮れ頃に申請を行い、法人化されるといったことになるのかな、と考えています。ただしこれは先日(2月26日)の常任委員会で、「ミスター法人化」こと矢原次期会長抜きに議論したことなので、若干の変更・補足などがある予定。

 私が幹事長をしていた頃は、今よりずっと気楽に予算を立てていたような気がする。昔のことだから、そう思っているだけかも知れないが。今年も黒字予算でいけそうですよ。というと会計幹事のウラベさんが「でも、単年度会計では赤です」「タンネンド?!?」「つまり今年の支出が、今年の収入を上回っているということです」でも、繰越金をたくさん作ったってしかたないから、いろいろ使って、会員サービスが充実したほうが良いのではないかな?「でも会計をやっていると自分の小遣いのように可愛くなってしまって、そんなにじゃんじゃんは使えません」

 法人になるための「健全な」会計とは、赤字を出さないだけでなく、単年度会計でも赤字を出してはいけないそうで、結構きびしい。特に、ここ数年の会計が審査を受ける上に重要らしい。自分の小遣いの管理もままならない浪費家会長が、じゃんじゃん使っちゃえ!と号令しても、小泉幹事長と肥後会計とがしっかり抑えておられるから、今年の予算も「健全」に保たれている。

▲サクラが満開になった日を3月1日からの日数として表す。大正から昭和初期のサクラの満開日を荷風の日記から推測すると、大体4月になってから満開になるものとしてよいだろう。4月10日頃が多く、20日近くに満開という年もあった。早くても3月末日である。1955年以降は気象台の記録がある。少し早まってきた感じはするが、満開日は4月5日頃というのが多い。著しく早まってきたのは1980年代以降のようだ。(ジョウシキと思われるようなことだが、簡単ではない)