目次へ

会長からのメッセージ −その37−

「ゴルフ場」

 僕はゴルフというものをやったことがない。やったことのないスポーツは他にもたくさんあるからゴルフだけを取り出して特別扱いをすることもないのだが、他のスポーツをしなかったのは、ぼくに能力がないだけであったり、たまたま機会がなかっただけであるが、ゴルフのほうはそうではない。積極的に避けてきたように思う。それには色々理由があるが、ゴルフは金持ちのスポーツだという偏見を持っていたことにもよる。一人当たり使う面積がすごく大きいのではないか?相撲だったら、2人で占有する面積は15平方メートル程度のはずだが、ゴルフだったら数人で数千平方メートルを占有するのではないか?それに自分の使う道具を人に運ばせて平気でいるというのが、なんとも傲慢な感じを与えるような気がした。それにゴルフ場の芝は、森林林床に比べて、水の保持が悪く、ダム機能も著しく低下するらしい。

 大会では色々面白そうなシンポジウムがあったので、「開発につける薬」の方は去年も顔を覗かせたことでもあり、遠慮しようかと思っていた。ところがプログラムを見ると「生態学者は法律を守っているだけで社会的責任を果たせるのか」というような不穏な表現があり、その不穏文書は実は「菊沢会長」が書いた文章を引用したモノであるという。ひょっとするとその会場から、開発現場へデモンストレーションがかけられ、その不法デモを教唆扇動したのは他ならぬ学会会長であるということになれば大変だ。というわけで最後にのぞきにいったら、河野昭一先生が声をからせながら、講演を終えられるところであった。その後の討論だけを小さくなって聞いていた。

 討論のなかで「ゴルフ場など無くったって生きていける」という意見がでた。多分、ゴルフ場建設に対する反対運動に関わっておられるのであろう、実にキッパリとした意見である。確かにそのとおりだなと思いつつも、いささかゴーマンな意見ではあるな、と、思った。たいがいのモノやコトは「そんなのなくても生きていける」といわれそうだ。突き詰めていくと、水と最低限のカロリーを供給する食糧があればよいということになりはせぬか?今でもそういう状況を体験することはできるが、日本人のほぼ全員が、比較的長期間そういう状況に曝されたのは1945年前後の数年間である。最初は米が配給になっていたが、そのうち米がなくなり、大根の尻尾や得体のしれない雑穀などが配給となり、それらを食べられるようにするために、石臼で引いて粉にしていた。このあたりのことは、僕も実見している。もちろんゴルフなんかはできるわけがなく、クラブをぶら下げて歩いていたら、「非国民!」と石を投げられたはずである。

 里山がみなゴルフ場になってしまう社会は困った社会だとおもうが、ゴルフの出来ない社会が幸せであるとは思えない。ゴルフがなくても生きてはいけそうだが、「ゴルフなしでは生きていけない」と思う人もいるに違いない。職業としている人も何百人とおられるはずだ。そういう人は一打一打に「命を懸けて」いるはずで、軽々しく、そんなのなくても生きていけるでしょう、とはとても言えない。とすると、われわれとしては、ゴルフ場は全ていけないのではなく、どんなゴルフ場ならよいのか。日本国内にはゴルフ場はどのように適正配置さるべきか、などのことが言えなければならない。こういうのも応用生態学の課題になるのだろうな。

 でも一方生活者の視点からいえば、自分が慣れ親しんできた、目の前の山林がゴルフ場になってしまうのが我慢ならないのである。日本国内の他の場所にいかに「適正に配置されるか」どうかなんて関係ないことなんだ。当日のシンポのフロアからは、「勝か負けか、といったことではなくて、どのようにしてゆけば、解決できるかというような議論も必要じゃないか」という意見が出ていたが、発表者は、「いや、この問題は勝か負けるかなんです」という意見で、かみ合わせるのが難しいようであった。しかしながら、そういった「勝か負けるか」の闘いをしている人にとっても、生態学の研究成果が役に立つ場面もあるのでしょうね。例えば仮に、生態学のほうから適正配置といった論が出て、問題の地が適正地でないとなれば、それは少しは「ゴルフ場反対の」役立つ武器として使えるかもしれない。

▲お陰様で、第54回日本生態学会大会は成功裡に終わることができました。現地実行委員会の皆様、大会企画委員会の皆様、事務局の皆様お世話になりました。参加された皆様お疲れさまでした。来年からは宮地賞の受賞者が3名に増え、そして大島賞(受賞者2名)が新設されます。また近く皆勤賞も授与されるようになるかもしれません。

 各地から地震見舞いをいただき有り難うございました。能登半島の方々は大変だったようですが、私は大したこともなく元気にしております。