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日本生態学会誌 56:252-257 (2006) 掲載

日本生態学会大会の運営について

難波 利幸(大会企画委員会委員長)

日本生態学会員の皆さん、新潟での第53回大会から日本生態学会大会の運営方式が大きく変わったことをご存知でしょうか。大阪での第52回大会までは、大会の開催が決まった地区に実行委員会が組織され、会場の準備・設営、懇親会の手配はもちろん、プログラムや講演要旨集の作成まで含めて、大会運営に関するあらゆることを実行委員会が引き受けてきました。しかし、日本生態学会の会員数の急激な増加と大会規模の拡大にともない大会実行委員会の負担は次第に重くなり、従来の方式では日本生態学会大会を運営することが難しくなってきました。一方、年に一度の大会は日本生態学会の最大の行事であり、その成否は日本生態学会と日本における生態学研究の発展に大きな影響を及ぼします。日本生態学会ではかなり以前から、主に将来計画委員会と全国大会検討委員会で大会のあり方に検討が加えられてきました。2000年3月25日の広島での総会で、将来計画専門委員会から「大会の持ちかたについての議論の提案」がなされ、「増加する一方の大会参加者に対応できるよう大会を改革するため全国大会検討委員会を作ること」が議決されました。巌佐 庸さんによる提案文は、日本生態学会誌第50巻第2号(2000)pp.169-170で読むことができます。また、2002年3月28日の仙台での総会では、将来計画委員会から提案された「日本生態学会のあり方について」(日本生態学会誌第52巻第2号(2002)pp.306-307)が承認され、2003年3月23日のつくばでの総会では、河田雅圭委員長から大会検討委員会の検討結果が報告されています(日本生態学会誌第53巻第2号(2003)pp.159-160。当時の巌佐 庸会長による「検討委員会報告の説明」が添付されています)。その後も、委員長が河田雅圭さんから竹中明夫さんに交代し、歴代の大会実行委員会などからメンバーを補充しながら大会検討委員会の議論は続けられ、2003年12月に常任委員会に提案・答申を行ってその役割を終えています。ポスター賞については、釧路大会実行委員長の齊藤 隆さんを中心に第51回大会ポスター賞ワーキンググループがまとめられた「持続的な『ポスター賞』システム構築に向けて」が日本生態学会誌第55巻第1号 (2005)、pp.209-214)に掲載されています。

このような流れを経て、第51回釧路大会以後、大会の運営方式に関する議論は一気に進み、現地でしかできない業務は地元に組織される実行委員会にまかせるが、シンポジウム・自由集会の企画の募集、一般講演・参加の申し込み、プログラムや要旨集の作成など、特に現地で行う必要がない業務は、日本生態学会に常設される大会企画委員会が担当するという方針が打ち出されました。2004年に常任委員会から全国委員会に提案され承認された当時の鷲谷いづみ会長による「日本生態学会大会企画委員会の設置趣旨」は、日本生態学会ニュースレターNo.6(2005年4月)、p.1に掲載されています。

この決定を受けて、 2005年1月に大会企画委員会が発足しました、過去の大会の実行委員会や常任委員会・電子化検討委員会から選出された委員、あるいは全国委員会から推薦された委員として、石濱史子さん、石原道博さん、占部城太郎さん、神田房行さん、工藤慎一さん、齊藤 隆さん、竹中明夫さん、夏原由博さん、山内 淳さんと私、そして新潟大会実行委員長の紙谷智彦さんと学会事務局から幹事の中坪孝之さんに加わっていただきました。当時、学会事務局は広島大学から岐阜大学へと移る過渡期にありましたので、新事務局の幹事として、津田 智さんにもお入りいただいています。また、新潟大会は、東アジア生態学会連合の第2回大会(EAFES2)との合同大会となっていましたので、EAFES2実行委員会(国際対応委員会)から菊澤喜八郎さんと中静 透さんにオブザーバーとしてお入りいただき、その後中静さんには正式に大会企画委員になっていただいています。そして、互選の結果(といってもごくわずかの票数で)私が委員長に選出されました。その後、1月から2月にかけて大会企画委員会の性格や運営方針についてメールを通じての議論をしました。私自身を含め、多くの委員が大会企画委員会の性格を必ずしも十分に理解していなかったので、最初は混乱もあったのですが、常任委員として大会企画委員会が設置される経緯をよく知っておられた齊藤 隆さんや全国大会検討委員長として大会の改革に関わってこられた竹中明夫さんの説明で大会企画委員会の性格がおぼろげながら各委員に理解されるようになってきました。

委員が一同に会して会合を開くことができたのは大阪大会の場で、大阪大会の終了後に委員会の実質的な活動が始まりました。大阪では、大会企画委員会に「設置趣旨」より1つ多い4つの部会を置くことを決め、運営部会に竹中明夫さん(部会長・副委員長)、夏原由博さん、プログラム部会に占部城太郎さん(部会長)、津田 智さん、山内 淳さん、シンポジウム企画部会に石原道博さん(部会長)、石濱史子さん、工藤慎一さん、ポスター賞部会に齊藤 隆さん(部会長)、神田房行さんと役割分担も決まりました。竹中さんに大会企画委員会のメーリングリストとウェブ上の作業空間であるwikiを整備していただき、その力を借りてニュースレター掲載用の新潟大会案内の原稿について議論を始めた頃から、大会企画委員会はようやく本格的に動き始めました。メーリングリストとwikiの整備には電子化検討委員会から北大の久保拓弥さんにもお世話になったとうかがっています。

「設置趣旨」では、大会企画委員会は、プログラム編成や登録受付、要旨集の編集・印刷などを継続して担当することにより、大会運営についての経験を蓄積し担当者の負担の少ない大会運営システムを構築するとともに、従来大会検討委員会が果たしてきた中長期の視点からの大会の在り方そのものの検討をも行うことが求められています。発足初年度の大会企画委員会は、まず、どのように実行委員会との関係をうまく築いて、新たな大会運営のノウハウをつくるかが課題となりました。また、新潟大会はEAFES2との合同大会であったためにEAFES2実行委員会との協力関係を作り上げ、中根前幹事長が先導してこられた学会の大改革の中で実現した京都の固定事務局との連携を図ることも求められました。

大会運営の経験を蓄積し担当者の負担の少ない運営システムを構築するためにまず求められたのは、講演・参加登録などの電子受付システムの整備でした。日本生態学会では、以前から電子受付システムを使ってきたわけですが、新たに設置された学会専用サーバ上で継続的に運営することを前提に、以前のソフトウェアにかなりの変更が加えられました。つくば大会以後、竹中さん、久保さん、江副さん(大阪府大)と引き継がれてきたソフトウェアに手を加え、竹中さんに、より完成したものに作り替えていただきました。講演要旨の登録システム(日本語と英語)やEAFES2用の英語での登録システムも含めて受付システムの整備を実質的に一人で担当され、副委員長として適切なご意見で委員会をリードしていただいた竹中さんのご苦労なしには大会企画委員会は機能し得なかったでしょう。さらに、2年目の松山大会では、公募シンポジウムと自由集会の受付も電子化されウェブ上で行うことができるようになりました。また、松山大会の講演・参加登録システムには、会員チェック作業の効率化のために、会員番号検索システムも搭載されています。今後は講演要旨のオンライン閲覧システムも整備され、プレゼンテーション用のファイルの受付もオンライン化される予定とのことです。松山の後の福岡大会で、公募シンポジウムと自由集会の英語での受付システムが整備されれば、受付システムの電子化は完成の域に達するでしょう。ただ、ニュースレターの配送が遅れたことなどにより、松山大会では公募シンポジウムの募集についての周知期間が短くなってしまいました。メーリングリストを通じての周知などの対応を取れなかったことを委員長として申し訳なく思っております。

大会プログラムについては、過去の大会のものを参考に、一般講演のセッション分類をプログラム部会で再検討していただきました。また、EAFES2との調整などのため、ぎりぎりまでタイムテーブルが確定しない中、一般講演の募集終了後、ポスター賞部会との協力の下に、あっという間にプログラムを作り上げてくださった占部部会長を中心とするプログラム部会の活躍は神業に近いものでした。ただ、部会の皆さんには、短期間に相当の負担をおかけしたようで、プログラム作成のノウハウとともに、アルバイトを使っての負担軽減策なども、今後の委員会で開発・継承していくべきものと思っております。  仙台大会から始まったポスター賞については、部会長の齊藤さんを中心に第51回大会ポスター賞ワーキンググループが釧路大会後にまとめられた「持続的な『ポスター賞』システム構築に向けて」(日本生態学会誌第55巻第1号 (2005)、pp.209-214)が大いに役立ちました。これをもとに、齊藤部会長を中心に新潟大会の方針を立てていただきましたが、事前に審査基準を公表するなど、大会ではなく学会として公認する賞への衣替えに向けて大きく前進することができました。これも、過去の多くの大会のポスター賞関係者のご努力の賜物と思います。なお、新潟大会ではポスター賞は学会長名で授与されましたが、規程整備などが遅れていました。生態学会の新たな賞である大島賞を含む各賞の規程整備の中で、今後ポスター賞についても規程が整備され、他の賞と同等の位置づけになるものと思います。ポスター賞部会は、齊藤さん、神田さんの2名の委員でスタートしたため人手が足らず、途中から担当地区である中部地区から岐阜大学の村岡裕由さんにお手伝いいただいています。また、関島恒夫さんを初めとする新潟の実行委員会の皆さんにも大変お世話になりました。村岡さん、関島さんには、その後正式に大会企画委員になっていただいています。

新潟大会では、2つの企画シンポジウム、13の公募シンポジウム、1つのフォーラム、31の自由集会、1つのサテライト集会と、これまでにないほど多くのシンポジウム、自由集会等が開催されました。企画シンポジウムの共同企画にあたるとともに、わずか3人の部会員でシンポジウム・自由集会の日程調整やプログラムの編集にあたっていただいたのがシンポジウム企画部会です。特に、時間と会場が限られている大会の中でよりよいシンポジウムを実現することを目指して、シンポジウム企画部会は応募のあった公募シンポジウムを審査にかける方針を採りました。このことは、新潟大会の大会案内にも明記されていますが、審査基準について大会企画委員会内で必ずしも合意が得られなかったこと、事前に審査基準が明示されていなかったこと、EAFES2との調整によって応募のあったすべてのシンポジウムの開催が可能となったことなどにより、新潟大会では審査の結果不採択となったシンポジウムは出ませんでした。松山大会に向けて、公募シンポジウムの応募ページでは、「テーマに十分な一般性・普遍性があるか」「研究の到達点や問題点の整理に十分寄与するか」「研究の今後の方向について活発な討論が期待されるか」などを判断基準として審査を行うことが明確にされました。今後、大会企画委員会が示した審査基準などを参考に企画者がシンポジウムの内容の一層の充実を図り、大会企画委員会は、審査結果と開催されたシンポジウムの成果を見ながら審査過程と審査基準の見直しを行う中で、より充実したシンポジウムが開催されるようなフィードバックがうまくかかることを願っています。

大会企画委員会が最初に担当した新潟大会はEAFES2と共催であったため、生態学会の側でも英文版の大会案内を用意しウェブ上で公開するなど、日本語を解さない参加者の便宜を図りました。この過程では、英語の堪能な堀池由紀美さんに英文をチェックしていただき、鈴木晶子さんにHTML化していただくなど、京都の固定事務局に大いにお世話になりました。また、EAFES2との合冊となった講演要旨集の編集は、運営部会の夏原さんに担当していただきました。以前の多くの大会の要旨集は、原稿をpdfファイルで入稿し印刷所には印刷・製本のみを依頼する手法がとられていたと思いますが、新潟大会では、事務局の遊磨美由紀さんの協力のもとに、印刷所に印刷内容の原稿と最終整形ルールのみを送り、編集は印刷所に任せる手法をとりました。初めての試行で、夏原さんの負担は却って重くなってしまったかもしれませんが、新潟大会での経験を継承することによって、要旨集作成の負担も次第に軽減されるのではないかと期待しています。この他に、事務局には、会員・非会員のチェック及び会費納入状況の調査でもお世話になっています。また、EAFES2との関係では、EAFES2のプログラム作成にほとんど一人で対応された上に、生態学会大会側からの無理な注文にも応じていただいた中静さんの存在なしには合同大会はうまくいかなかったでしょう。

手探りで動き始め、最初は混乱があった大会企画委員会ですが、具体的な作業が始まってからは、大会運営の経験が豊富な有能な委員の皆さんの献身的な働きのおかげで、意外なほどスムーズに大会準備が進んだように思います。新潟の会場では、大会企画委員会設置の検討に当たられた常任委員の皆様などから、初年度から大会企画委員会がこれほど機能するとは思っていなかったなどのお褒めの言葉をいただいています。これも、計画性のない委員長の下で自主的・計画的に動いてくださった委員の皆様のおかげです。しかし、共同作業で作り上げる最初の大会の成功の多くは、実は実行委員会の皆さんのご努力に負うものではないかと思っています。紙谷実行委員長は、大会運営業務の一部を委託した企画会社の社員を同行しての大阪大会の視察以来、綿密な「JES53計画表」をお作りになり、常にあらゆることに気を配り、確認を怠ることなく準備を進めてこられました。2005年12月17日(土)〜18日(日)には、大会企画委員の会場視察と両委員会合同の最終打ち合わせを目的に、大会企画委員長、各部会長、要旨集担当の夏原さん、EAFES2実行委員会から菊澤さんと中静さん、事務局から津田さん、鈴木さん、堀池さんが新潟を訪問しました。ここでも、紙谷さんを始めとする実行委員会の皆さんの周到な準備のおかげで、すべての重要問題についての確認を短時間のうちに済ませることができました。当日、新潟県は大雪に見舞われ、県外に出る道路網のほとんどが寸断される中での会議でしたが、このとき実行委員会も大会企画委員会も新潟大会の成功を確信することができました。大会開始初日には、アルバイトの学生さんを集めての結団式が行われましたが、業務についての分厚いマニュアルを使っての丁寧な説明に、改めて準備状況のすばらしさに目を見張りました。新潟大会に参加された皆さんも、整然とした運営を見て、すべての実行委員の皆さんが適切な役割を怠りなく果たされたことを実感されたのではないかと思います。

繰り返し説明してきましたように、新潟大会からは、大会企画委員会、実行委員会、事務局が協力して大会運営にあたるようになったわけですが、「さてそれで地元の人たちが楽になったか?」(日本生態学会ホームページでの菊澤喜八郎会長の「会長からのメッセージ」その9 「大会準備のこと」 より)。菊澤会長のおっしゃるように、「いそがし感」は仕事量そのものではなく、急に仕事が入ってくるような仕事量の時間変化率によって決まるとしたら、実行委員会の中心メンバーにとっては、大会企画委員会との連絡などの増加によって、従来よりも却って「いそがし感」が増えたかもしれません。また、どんなに忙しかったとしても、充実感を得られるかどうかは、自分たちの望む大会が実現できるかどうかにかかっています。今後の大会運営は大会企画委員会の主導で行われるにしても、過度に継続性を優先することなく、地元の実行委員会の皆さんのご要望にも耳を傾け達成感が疲労感を上回るように配慮する必要があるでしょう。新潟大会実行委員会は業務の一部を業者に委託しましたが、今後も予算の許す範囲で会場の設営や発表用ファイルの受け取りとチェックなどを業者に委託することで、実行委員会の負担を一層減らすことができると思います。大会企画委員会の側も、新潟大会で、そしてこれまでの松山大会の準備過程で、一部の委員の方々の「献身的な働き」に頼っています。この部分を解消して初めて、大会企画委員会の設置による大会運営の経験の蓄積と業務の定型化が成功したと言えるでしょう。

経験の蓄積による業務の定型化と負担軽減に目処がついた後は、「中長期の視点からの大会の在り方そのものの検討」が求められます。日本生態学会では、全国大会検討委員会での議論などで、大会についていくつかの課題が指摘されてきました。

まず、学会の国際化の問題があります。2002年3月28日に将来計画委員会から提案された「日本生態学会のあり方について」では、「もっとも重要なことは日本の大学院生たちが、一人前の研究者となるには英語による研究成果の発表、討論、共同研究を遂行する能力が必要だ、ということを意識することです」として、シンポジウムのうち2割程度を英語による講演を主とするものにすることを提案しています。しかし、残念ながら、英語による講演を主とするシンポジウムは、つくばでの50周年記念大会や新潟での大会と合同で行われたEAFES2を除くと、必ずしも増えていません。また、外国人招待講演者に1日を通じて大会に参加してもらえるようにすることも意識して、大阪大会から一般講演でも英語での発表を奨励していますが、応募数が少ないために、テーマに関わらず英語での講演だけを集めたセッションで講演してもらわざるを得ない状況になっています。一方で、他の学会でも日本生態学会でも、英語での発表の機会を与えられた若い研究者の皆さんを見ていると、その堪能な英語に驚かされます。若手研究者の皆さんには、積極的に英語で講演し、英語での講演を中心とするシンポジウムを企画することを望みます。日本人との意思疎通の点では日本語での講演が勝っているかもしれませんが、英語での講演には大物招待講演者にも発表を聴いてもらえる利点もあります。是非、積極的にご応募ください。

日本語を解さない参加者の便宜を意識して、松山大会では、講演・参加受付システム、大会案内やポスター賞などの諸注意の英文化を図っています。これには、新潟でのEAFES2との合同大会の経験が大いに生かされています。世界でも有数の会員数を誇る日本生態学会は、アジアの生態学の発展にもっと寄与すべきであり、東アジア生態学会連合の合同大会に限らず、毎年の日本生態学会大会にも、韓国や中国の人たちにもっと参加してもらえる体制を整えるべきであると思います。大阪での第52回大会では、講演申し込みの期限をかなり過ぎてから韓国からの参加の可否に関する問い合わせが2件ありました。大阪大会までは大会案内が英文化されていませんでしたので、韓国や中国の方が日本生態学会大会の情報を得るのはかなり難しかったと思います。新潟大会、松山大会では、ウェブでの講演・参加登録の開始とほぼ同時に英文での大会案内が公開されていますので、海外の研究者や国内の留学生などには飛躍的に情報量が増えています。ただ、情報は得られたとしても、渡航費や参加費の面で東南アジアの方が日本生態学会大会に参加するにはかなりの障壁があります。今は、会員でなければ日本生態学会大会で発表することができなくなっていますが、他の学会で行っているように、海外の関連学会会員には日本生態学会員でなくても発表を認めたり、海外の学会と日本生態学会との間で相互の会費割引制度を導入したり(現在でも、和文誌の分を割り引くことは可能です)すれば、海外の方にとっての壁が少しは低くなるのではないでしょうか。巌佐 庸さんがおっしゃるように、これによって日本人の英語による講演が増えるメリットも見込まれます。

大会をより充実したものにするには、何よりも大会の内容の充実が求められます。一般講演については、大会企画委員会が関われる部分は少ないのですが、シンポジウムについては大会企画委員会の努力で改善できる余地がまだまだあると思います。「大会の持ちかたについての議論の提案」にあるように、大会規模の増大と並列セッションの増加で専門外の分野の講演を聴く機会が減り、異なる分野の研究動向を全体的に把握することが難しくなっています。また、大会規模が大きくなっても、発表される分野はむしろ減少し、特に海洋生態学、微生物生態学、生物地球化学サイクル、化学生態学などの分野の発表が少なくなっているという指摘もあります。例えば、最近10年間に開催されたシンポジウムを一般講演のセッション分類にしたがって分類し、開催数が少ない分野には大会会企画委員会の側から企画を依頼することによって分野のバランスを取ることなども必要ではないかと思います。企画を依頼するシンポジウムについては、必ずしもその分野の発展を目指す高度に専門的なものではなく、啓蒙のための入門的あるいは教育的なものであってもよいと思います。このようなシンポジウムを数多く開催するためには、シンポジウムの企画者や講演者に一般講演との重複発表(例えばポスター発表)を認めることも必要になるでしょう。

「大会の持ちかたについての議論の提案」では、大規模な研究費によって運営されている研究プロジェクトの進行状況や研究成果を、学会の大会でシンポジウムを通じて伝えていただくことも提案されています。最近はメーリングリストなどを通じて、大規模な研究プロジェクトやCOEの成果を報告するためのシンポジウム等の案内が数多く届きますが、多くの生態学会会員が実際に参加できるシンポジウム等はそのうちのごくわずかでしょう。大会のシンポジウム、あるいは大会の前後に行われるサテライト集会として、大規模プロジェクトの研究成果を報告していただくことは、日本生態学会員にとって大変有意義なことです。各種プロジェクトのリーダーと大会企画委員会との連携によって、将来的にはこれも実現できるのではないかと思います。

大会企画委員会常設のメリットの一つは、1年から2年のタイムスケールで大会を開催しなければならない実行委員会とは違い、中長期の視点で大会を考えることができることです。過去の大会では、テーマ別セッションとして、まずセッションのテーマを募集し、開催が決まったセッションの企画者が一般講演からそのセッションにふさわしい講演を選択する、二段階選抜方式のセッションが行われたことがありました。しかし、募集のための時間が限られていることや、手続きの煩雑さから、最近の大会ではテーマ別セッションは行われていません。常設の大会企画委員会がシンポジウムや一般講演を募集する体制になった今は、シンポジウムのテーマなどを大会の1年以上前に募集することも可能です。そうすれば、公募シンポジウムやテーマ別セッションの講演者の一部をオープンにし、テーマの採択が決まった後に講演者を募集する時間的余裕もできます。このような方法で、企画者の人脈を越えて幅広い人材を活用することによって、シンポジウム等をより充実させることができるようになるのではないかと思います。

熊本大会あたりから学会が費用負担をして外国人講演者を招待することが行われています。これまでは、招待者には実行委員会または大会企画委員会が企画するシンポジウムで講演してもらっていました。しかし、募集時期を早めれば招聘に要する期間を確保できますから、公募シンポジウムでも、呼びたい外国人の名前を明記した企画書を出してもらい、互いに競い合ってもらうことができるかもしれません。いずれにしても、大会企画委員会の設置により、様々なアイディアが実現しやすくなったことは確かです。今後、委員会の中で議論が盛り上がることを期待しています、業務の定型化による負担軽減に続いて、大会の充実のための新たな企画を打ち出して始めて、大会企画委員会は単なるプログラム編成委員会から真の大会「企画」委員会へ脱却できるのではないかと思います。

2006年1月には、全国委員会の承認を経て、新たな委員として、運営部会に佐竹暁子さん(シンポジウム企画部会と兼務)、大森浩二さん(松山大会実行委員長)プログラム部会に箕口秀夫さん、ポスター賞部会に関島恒夫さん、村岡裕由さん、シンポジウム企画部会に上條隆志さん、久米 篤さん、坂田宏志さん、佐竹暁子さん(運営部会と兼務)、陀安一郎さんにお入りいただきました。大会企画委員の任期は3年ですので、今後も、退任する委員に替わって、年に7、8名の委員に新しく入っていただく予定です。菊澤喜八郎会長の「会長からのメッセージ」にもありますが、「どうでしょうか、大会運営に関心の有る方、大会企画委員会に参加してみて下さいませんか。」大会企画委員会は、今後は、業務の定型化のための大きな初期負担を負え、大会の内容充実のための実質的な議論に入っていくことができると思います。皆さん、大会改革のための新たな提案を胸に、大会企画委員会に参加されませんか?

現在は日本生態学会誌編集委員長を務めておられる大串隆之さんは、日本生態学会大会は開催地を公募すべきであり、名乗りを上げる開催地がない場合は大会を開催しなくてもよいという持論をお持ちです。大会企画委員会が真にその役割を果たすことができるようになり、開催費用の余裕もできてある程度の業務を業者委託できるようになったら、現地の実行委員会の負担は大いに減ります。地元で大会を開催することには、生態学に関心を持つ学部生や関連分野の研究者に旅費なしで大会に参加してもらえるメリットがあります。また、ともすれば生物科学、生命科学全体の中での立場が弱い生態学ですが、大規模な大会の開催によって日本生態学会の力を印象付けることもできます。今後は、多数の参加者を収容できる会場さえ用意できれば、大会開催のための地元の負担は大幅に軽くなります。どうでしょう、これまで日本生態学会大会を開催したことのない都市の会員の皆さん、大会の開催地へ名乗りを上げてみませんか?

最後に、大会企画委員会の活動は委員全員の協力で成り立っていますが、本稿は委員長個人の責任で書かれていることをお断りして筆をおくことにします。