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日本生態学会50周年記念大会について

この文書は、2003年3月につくば市のつくば国際会議場で行われた生態学会50周年記念大会の プログラムに掲載されたものです。

日本生態学会は2003年で創立50周年を迎えました。この節目の年にあたって過去の歴史を総括し、今後の方向について議論をしておこうというのが50周年記念事業の大きな意義です。この50年の歴史の流れには、大きな二つの潮流があるように思われます。一つは国際化の方向、もう一つは生態学が社会の中で重要性を増していく方向かと思われます。

50年前の日本は、経済発展とともに諸外国との情報のやりとりがスムースになり、学問世界も急速に発展し始めた時期でありました。その後、それまでに準備された諸研究が花開き、世界的に著名になってきています。日本生態学会もまさにこうした学問発展の一端を担ってきたと言えましょう。現在では多くの研究者が国際学会に出席して発表し、国際雑誌にも論文を投稿しており、国際化が進んできたといってよいでしょう。この国際化の流れは直線的に進んで来たのではなく、17年前の英文誌の発行、13年前の国際生態学会(INTECOL)の横浜での開催などを期に一気に高まってきたということができます。今回の50周年における各種のイベントもまた、新しい機連を盛り上げる機会になり、後に評価されるものとなることが期待されます。

国際化は個人のレベルだけでなく、大型の国際共同計画への参画というかたちでも進んできています。すでに30年前のIBP(国際生物学事業計画)によって日本の生態学者は共同研究推進の訓練を受け、国際的な責任を果たしました。最近は、地球環境問題に関連して、IGBP、DIVERSITASなどの国際共同計画が進行しています。国際計画に対する日本国政府の対応を十分ならしめるためにも、日本生態学会が力をつける必要があります。

もう一つの大きな潮流として、公害間題、環境問題を契機として生態学の社会への発言力が増してきたことがあげられます。それ以前は、生態学者は環境破壊に力を貸すような開発にはいっさい係わってはならないというのが生態学会の多くの会員の了解事項であったように思われます。しかし、それだけでは自分の研究フィールドも奪われかねないことになってしまいます。そこで、開発反対の声明を出すというのがひとつのパターンになっていましたが、開発の大きな力の前にはこのような声明は無力であることが多かったわけです。けれども最近は状況が変わってきています。それはわれわれの力が強くなったというよりは、環境問題の深刻化とともに、多くの人たちが危機感を持ち始めたことによるものと思われます。それとともに、では自然を守るにはどうすればよいのかと生態学者が問われることになってきています。ずっと以前のように、いっさい関与しない、反対だけはする、という態度をとり続けることはもはやできないでしょう。

では、われわれはどうすればよいのか。保全のための研究が、生態学の立場から新しい提言を出しうるほどに進んできているのか、さらに進めるにはどのように研究者と技術者、政策担当者が連携すべきかについて大いに議論がおこる必要があります。環境問題がなくならない限り、研究を終了させるわけにはいかないでしょう。生態学者が研究費獲得のために環境問題を利用するのではなく、本当に環境問題にコミツトしようとするのならば、独自に計画を組業し、予算を獲得して研究を推進しなければなりません。そのためにも学会が力をつけることが必要となるでしょう。21世紀における生態学の新しい方向づけを行うなどということは、学会の役員がいくら知恵を絞っても出てくるものではありません。それはまったく思いもよらぬところで、誰かの頭のなかに浮かんできているのでしょう。しかし、環境問題のように与えられた応用問題をどのように解いていくかということであれば、現在の学会首脳でもある程度の方向付けができることでしょう。

このような方向付けがこの節目の時期にぜひ必要と考え、50周年記念事業委員会では、栄えある50周年記念大会を「つくば国際会議場」で開催し、海外からも5人の講演者を招聘して全員参加式の「全体シンポジウム」を企画するなど工夫させていただいた次第です。皆様方のご理解とふるってのご参加をお願い申し上げます。

日本生態学会50周年記念事業委員会


1954年5月2日に東京都港区の国立科学博物館・附属自然教育園で行われた生態学会創立総会。

第1回大会時の参加者全員の写真(故沼田眞先生提供)。生態学会はこの前年に創立されましたが、総会は翌年に行われています。このときの参加者はおよそ130人でした。今回の50回大会では、この10倍以上の参加が見込まれています。


1990年8月に横浜で開催された第5回国際生態学会(INTECOL)のシンボルマーク。 

(前略) 最初デザイナーが画いてきたのはカモメだけだったが、「植物の絵もほしい」という要望からカモメが小枝をくわえることになったと聞く。デザイン的にはひどくダサイものになってしまったという評もある。そうだとしても一向にかまわない。生態学はもともとダサイ学問であることを誇りにしているのである。いったいカモメが枝をくわえて飛ぶかという疑問も聞こえる。これも生態学的にみれば短絡的な見方でしかない。この図は、植物体が水中に落ち、分解されてバクテリアのからだになり、動物プランクトン、魚を経て水鳥へとつながるエネルギー流を凝縮して表現したものなのである。 (後略)  (木村允 (1987) 「第5回国際生態学会議について」 生態学会関東地区会会報 36、p20より引用)