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日本生態学会全国大会

日本生態学会の自由集会:その歴史と意義

更新: 2009-09-17

以下は,日本生態学会・大会企画委員会のメーリングリストで, 大会での自由集会の位置づけが議論となった際に巌佐庸委員が発信されたメールの 内容です.自由集会とはどのようなものなのか,これまでどのような役割を果たしてきたのか に触れた文書であり,今後の参考のために残しておくべきものとの判断により, 全国大会のページの文書カーかイブの保存することとしました.


2009年9月7日

自由集会は、もともとは日本生態学会とは違う、関連集会の場を提供するという形で 行われています。それは単に福岡大会ではじまったものではなく、私が学会に 参加し 始めた1975年以前から続いている形式の集会です。

環境問題や一部には政治にもかかわる公害問題をとりあげるといった議論を 行う会もありました。その場合、自由集会ならば会員でない人にも来てもらって 自由に討論をすることができます。そしてその内容は学会は責任を持たないと いうことです。だから会費もとらないし参加者は会員にもかぎらないのです。

自由集会の、多数はどちらかといえば、種子生態学談話会だとかフェのロジー研究会、 それから一時の保全生態学研究会のように生態科学に関連した小学会がそこで 育って行くということがありました。私自身も修士1年生であった1976年から 「生態学における数理的手法」という一連の自由集会を毎年開催しながら、 数理生態学に対するシンパをあつめて、数理的アプローチを学ぶ場をつくり 興味をもつ人を増やすことに努力しました。今日、日本生態学会で数理的な アプローチの存在がある程度認められているということには、私達の 努力の影響もあると思っています。

保全生態学研究会がよい例だと思いますが、500名程度の小研究会が毎年の 日本生態学会の大会のときに集会をもたれ、それは生態学会の高い会費は 払わなくてもその会だけ参加される形式としてみとめてきました。 私が会長のときにその会員をC会員として生態学会の会員に吸収してしまいました。 この保全生態学研究会がもし日本生態学会と独立してしまっていたら、 いまの日本生態学会の興隆と若手への求心力はなかっただろうと思います。 これは自由集会という制度がもつ成功例だと思っています。

私は、一般の会員が発案した研究集会が小規模でも実施され、育って行く道を 確保することが、生態学会の長期的な発展にとって、とても重要だと考えています。 それは過去の学会において、生態学の中心的テーマと考えられていない対象の 集会からスタートして、その後のびていったということを見ています。 またそのような関連分野の人が集める機会を供給することによって (高い会費にもかかわらず)生態学会にとどまっているという面が あると思います。学会の会員の興味の多様性を考えて会員が満足するように 運営することは学会の長期存続にとって重要と思いま す。

ただ3年ほど前から、自由集会を二つにわけて、日本生態学会の大会の一部と いうふうに扱い、講演要旨も印刷するという形式の「企画集会」が スタートしました。これはしばらく前に「公募シンポジウム」というのも ありましたので、それに近い形のものになっています。 他方で、自由に集会が組めるという形式のものも残してあります。 これは生態学会が周辺の興味をもつ人々が集まれる場が維持されているということです。

もちろん学会全体を見渡して、プロモートしたい分野や視点、会員に考えて もらいたいビジョンなどを提示することも大事です。後者については シンポジウム企画部会で議論をすることになっています。

しかしこのトップダウンの組み方だけだと、日本生態学会はその特色と魅力を 失うのではないかという危惧を私は持っています。これまでの生態学会の歴史を 考えますと、この自由集会というなかから、大学院生などの若手でも提案できる 集会を企画するという経験がつめ、そこをもとに同世代の生態学者が日本生態学会を 自分たちが集まる場として高く評価して行くという形で、生態学会の求心力維持に 非常に効果があったと思っています。

自由集会は、他の学会にはない、日本生態学会のもっとも生態学会らしい 仕組みであるということで、継続をしていただきたいと期待しています。

巌佐 庸


生態学会大会企画委員会