野外調査の安全マニュアル案

(日本生態学会 野外安全管理委員会 編)

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調査実施前

調査準備

リスクアセスメントと調査日程の設計(危険の予測と対策)

 フィールド調査開始に当たって、現場担当者と調査責任者はフィールドで発生しうる事故について事前に協議し、リスクアセスメント(危険の予測)を行う。また、事前に明らかに予測されるリスクが存在するときには、これに対処するためのガイドラインを作成する。これらの情報は、実際に事故が発生したときの、対策本部からの指示のための基礎資料となるだけでなく、死亡事故発生時の遺体捜索やプレスリリースの際の根拠となる。

調査地の特性を理解する

 登山やハイキングと異なり、野外調査を行うフィールドには、標準コースや危険な場所を教えてくれるガイドブックが無いことがほとんどである。そこで、フィールドに関する以下の項目について、事前に情報収集しておくと、事故のリスクを低減できる。

(1)地形
  地質の特徴を含め、理解しておく必要がある。深い谷などでは、多少の雨が降っただけで、鉄砲水になる場合もある。

(2)局地的な気象条件
  東風のときは雷に成りやすい、等の局地的な観天望気に通じておくと気象被害に遭いにくい。

(3)交通状況
  最寄り駅までの終バスの時間等を知らないと、バス停まではおりてきても、そこから移動できない場合がある。季節によって、時刻表がかわる場合もあるので、注意が必要である。

(4)医療機関
  フィールドにもっとも近い医療機関の情報(電話番号、住所)等を調べておくと、怪我や急病の場合、迅速に受け入れ態勢を整えてもらえる。ハチにさされた場合や蛇に咬まれた場合等も事前に医療機関に連絡することで、的確な指示が得られ、被害を軽減できる。

(5)トイレ
  利用できるトイレの位置を確認しておくと良い。

(6)コンビニ
  フィールドからもっとも近いコンビニやガソリンスダンド、ホームセンターなどを営業時間とともに確認しておくとよい。

交通・移動手段

 フィールド研究における交通事故は、その利用する手段によって以下の3つに大きくわけることができる。

1.公共交通機関(定期便航空機・列車・定期バス・電車・大型船舶)での事故

 公共交通機関での事故は、一般に突発的で利用者自身にはほとんど防ぎようがない性質のものである。事故の規模は極めて大きい。また、事故の責任は大部分が運行主体(企業)となり、その補償能力は相対的に高い(外国の場合は国の経済力におおむね比例する)。このカテゴリーの事故に対する措置としては、複数ルート・複数会社を比較したうえで安全性の高いものを選択する、大人数の場合は複数の便・ルートに振り分けることでリスク分散する、旅行用傷害保険に加入するなどの方法がある。事故発生後の対応は、運行会社・大使館(海外)・保険会社及び被害者親族とのやりとりに終始し、これらの対応を事故対策本部がスムーズに行うことが被害者および親族の負担を軽減することに繋がる。被害者側による捜査・捜索の余地は相対的に少ないが、運行主体を相手取った訴訟に発展する確率は相対的に高い。日本国内では、自動車事故などに比べて、公共交通機関の事故の危険性が非常に低いため、長距離移動における安全対策のために有効な手法として使える。長距離を車で移動するよりも、公共交通機関とレンタカーの併用などの方法で移動することが望ましい。

2.チャーター運行型交通機関(小型航空機・運転手付きの車および小型船舶)での事故

 チャーター運行型交通機関は、一般に運行主体が公共交通機関のそれに比べて小さいこと、運行ルートや会社・ドライバーの選択に研究者が直接関わることなどから、公共交通機関とは性質が異なる。特に利用者として注意しなければならないのは、事故発生時に運行主体側に補償能力がほとんどないケースが存在すること(特に海外で多い)、ドライバー・パイロットに極めて未熟なものが含まれるケースがあること、使用機材が古く故障が多い場合があるという点である。運行主体の補償能力については、利用者側が傷害保険等によりカバーするしかない。機材やドライバー・パイロットの優劣の問題は利用者側の選択眼にかかってくる。調査地周辺で過去に起きた事故について地道に情報収集することが功を奏することがある。特に、途上国におけるヘリコプターや小型船舶の利用については上記の問題点が全て当てはまるケースが多いので注意が必要である。

<事例>1997年に東ネパールのヒマラヤ山麓でチャーター運行中のヘリコプターが離陸に失敗し大破、ネパール人一名(研究協力者)死亡、一名重症、同乗していた日本人観光客が数名重軽傷を負った。事故を起こした航空会社は、小さい会社でもともとの補償規定の額が低かったので、実質的な補償はほとんどなされなかった。機材に問題はなかったものの、事故を起こしたパイロットは無免許であり正規のパイロット養成訓練を受けた経験もなかったことが事故後の調査で判明した。

3.研究者自身が操縦するもの(自動車・小型船舶など)での事故

 研究者自身が車・船舶などの操縦を行う場合は、当然ながらリスク管理責任は研究者に全て帰せられる。出発前の運行点検・ルート設定・スケジュール設定・保険加入・操縦技術などに注意を払うのは当然の義務であり、ここであえて取り上げるまでもない。しかしながら、日本のフィールド研究において、特に学生の自動車使用と安全管理の問題が制度的に整備されていないことだけは指摘しておかなければならない。欧米では調査用に学生が使用する車は大学側が用意し、学生に貸し出す形をとっている場合が多い。貸し出しには、安全講習の受講・安全運転誓約書へのサイン・運転技術の審査などが条件として課せられ、これらの制度が学生の金銭負担の軽減、無謀な運転の抑止に効果をあげている。制度上は自家用車による調査は存在しないことになっていること、調査用の車を学生個人で維持させていること、運行スケジュールを提出させないこと、運転能力をチェックする制度を設けないでいることは、学生のフィールド研究に巨大なリスクを背負わせているのも同然であるということを研究指導者は認識すべきである。また、実際に学生がフィールド調査中に自動車事故を起こした場合には公務災害の扱いがないために補償はほとんどなされないことを研究指導者は理解しておくべきである。多くの大学で学生が加入している学生教育研究災害傷害保険(学研災)でも、個人所有の自動車が調査目的で運用されていたことを事故が起きてから証明するのは非常にやっかいな作業であるため、「指導教員の指示の元での研究中」と認定されて補償対象となる可能性が100%であるとはいえない。調査計画書が事前に書類として提出されていることは、この意味で極めて重要である。

4.車の運転

 調査に車を利用する場合には、以下の点に十分に留意する必要がある。

(1)車の運転に習熟する
  学生の場合、運転の経験がほとんどない状態で、レンタカーや知人の車を借りて調査に出かける場合がある。車の運転自体に慣れていないと、交通事故の可能性は高まる。また、山道等では、その危険性はより高くなる。車の運転に自信がない場合は、運転の上手な人に同乗してもらう、練習するなどの必要がある。一方、自信に満ちあふれている場合も、しばしば非常に危険なので、注意すること。

(2)乗り慣れていない車の運転
  出先でレンタカーを借りる場合等、機器の操作や車幅に慣れていないので、十分に注意する。レンタカーの場合、ウインドウォッシャー液が入っていない場合があるので、事前に確認すること。機器の操作に関しては、とくにカーナビの操作中の事故が多いと言われている。慣れない車の場合は、かならず停車して操作すること。

(3)シートベルトを必ず装着する
  事故にあった場合、生死を分けるのは、シートベルトを締めているか否かである。運転者・助手席にかぎらず、後席でもかならずシートベルトを締める。

(4)時間に余裕をもつ
  レンタカーの返却時間が迫っていて慌てた場合等、事故を起こしがちである。十分に時間に余裕をもって行動する。

調査に関わる届出

1.旅行届・旅程表の提出

 遭難の発生の早期認識や、初動調査時の捜索隊の派遣、保険支払いにおける事故の公的認識などに非常に重要な役割を果たすのが、旅行届・旅程表である。旅行届・海外旅行届は大学所定の書式によるが、これは旅費精算のための記入項目がほとんどで、必ずしも詳細な予定やリスク管理情報を記載するようには作られていない。このため、詳細情報を記した調査旅程表は公的な旅行届とは別に作成し、研究リーダーと事故対策本部に渡るようにしなければならない。この旅行届・旅程表が提出されていない場合には、事故発生時のリスク管理スキームのかなりの部分が実行不能となり、事故発生時の対応は後手にまわる。海外の登山を含む調査でも、行動予定・装備・血液型等が記された山中での行動予定表は事故対策本部の情報として非常に有効である。

2.調査許可の申請

調査をおこなう場所、調査項目、方法に応じて関係諸機関(環境省、海上保安庁、林野庁、地方自治体、漁業組合等)や民間団体、土地所有者への届出および許可の獲得が必要になる。下記に主要なものを掲載する。

 (1)(許可の正式名称)

 特に船舶を利用して野外調査をする場合には、事前に海上保安庁の調査許可を得ることが必要な海域がある(許可の正式名称チェック)。対象海域に応じて窓口となる海上保安庁の管区が異なるので注意が必要である。調査時に許可証を携行していないと、水を汲むだけでも違法行為と見なされるため、必ず携行すること。

 (2)特別採捕許可

 水産有用種を調査採集対称にする場合にはあらかじめ届出により許可の獲得が必要である。届出は各県の水産課が窓口(許可者は県知事)となるが、事前に調査海域を管轄する漁業協同組合の同意が必要である。対象種と届出方法の詳細は各都道府県により異なる。なお、実際の調査に当たっては許可を取ってあったばあいであっても、なるべく頻繁に漁協は調査予定を知らせたほうがよい。特に夜間調査では事前に連絡をしておかないと密猟者と間違われて警察が出動することもある。

 (3)港湾内での調査許可

 港湾内での調査を行う際に必要になることがある。詳細については調査海域所轄の港湾事務所に問い合わせること。

 (4)入林入山許可 登山活動などを伴うフィールド調査(国内)においては、入山届や入林届を提出することは常識である。

 (5)国立公園許可

 (6)採取許可

 

海外調査に関する情報収集

1.地区特異的安全情報の収集

 海外の調査研究では、日本人研究者は強盗やマフィア・テロなどの標的になりやすい。また、スリや置き引きの被害は日常茶飯事と言ってよいくらいに頻繁に発生している。どんな国、どんな街でも、犯罪の多発する場所と時間帯がある。また国政選挙などの時期は国中が神経質になっていて、政情が不安定な国では、このような時期に政変や軍事クーデターが発生するケースが多い。もちろん、人類学や社会学では、そのような場所や時期でも研究しなければならない場合もあるが、それは流暢に現地のことばをしゃべることができ、信頼できる人間関係を十分に築いた上級者向けであると考えるべきである。

 さまざまなトラブルを予防するためには、現地の日本大使館あるいは領事館の位置・連絡先を確認し渡航前にリストを作成しておくこと、また、最新の情報を入手するツールを持つことが重要である。長期に滞在する場合には、日本大使館に在留登録を行う必要がある。渡航前には、外務省の海外渡航関連情報(海外危険情報・国別海外安全情報・国別テロ情報・海外医療情報)は必ず確認しておくべきであるし、当該国以外の情報も役に立つことがあるので参照したほうがよい。とくに情勢が不安な国ではNHK国際放送やBBCなどを聴いて常に状況の適切な把握に努めなければならない。実際にトラブルが発生した場合には、迅速に現地の大使館と連絡をとり、対応にあたる。軍事クーデターなどが起きた場合には、市街戦などに巻き込まれるのを避けるため、事態が沈静化するまで外出は禁物である。民家や町中の小さい宿に宿泊している場合は、大使館などに連絡して居場所をはっきりさせるとともに、大使館のアドバイスに従いながら近隣の最も外国人客が多い大型ホテルなどに、臨時で避難することを勧める。ホテル・大使館に避難する際にも、移動には細心の注意を払わねばならない。アフリカ諸国など、現地国に日本大使館がなく、外交ルートが限られている場合には、JICAや日本系商社などと日頃から密に連絡を取り合うとともに、非常の際にはアメリカ大使館やフランス大使館に救助を要請することも、あらかじめ検討しておくべきである。

 外務省海外渡航情報 http://www.anzen.mofa.go.jp/

2.現地の医療体制の把握

 海外で病気や事故で負傷した場合に、現地の風土病や医療体制についての知識の有無が生死を分けることがある。特に、医療体制が充実していないアジア・南米・アフリカ諸国では外務省の海外医療情報(上掲)や厚生省の海外感染症情報から事前に情報収集を行っておくべきである。急病発生時の患者の一般的取扱いや運搬方法については、日本赤十字社の救急員養成講習会や消防署の救急法講習会を受けることで習得できる。

3.感染症の予防

 熱帯でのマラリアとデング熱、アジア圏でのA型肝炎・細菌性急性腸炎などは、多くのフィールド研究者が感染しており危険率が非常に高いので、「自分もかかることがある」という前提で予防を行うべきである。各種感染症については、後述の予防接種の項を参照されたい。また、海外渡航時は、風邪・下痢・切り傷などの薬および包帯・ガーゼ・消毒薬・脱脂綿および蚊取り線香・蚊よけスプレー・蚊帳(マラリア発生地では必須)などを携帯すること。現地の薬局で手に入る薬は、必ずしも役に立つとは限らない。また、途上国では病院の医療器具が充分に消毒されていないために、病院で体液感染型の感染症(AIDS・肝炎など)にかかることがある。現地の状況によっては注射器などの基本的な医療器具を持参することを検討するべきである。

厚生労働省海外感染症情報(FORTH)http://www.forth.go.jp/

(1)海外調査などでよく発生する感染症の例

 ・A型肝炎
  ・細菌性急性腸炎
  ・チフス
  ・アメーバー赤痢
  ・コレラ
  ・マラリア
  ・デング熱
  ・フィラリア
  ・狂犬病
  ・ロシアダニ媒介脳炎

 

(2)フィールド調査時の携行薬品の例

 ・減菌ガーゼ・脱脂綿
  ・消毒薬(マキロン・オキシフル・イソジン)
  ・伸縮包帯・テーピングテープ・絆創膏
  ・解熱剤(総合感冒薬)
  ・消炎鎮痛剤
  ・整腸剤
  ・下痢止め(ブスコパンなど)
  ・抗生物質(服用・外用)
  ・体温計
  ・ビタミン剤

4.海外調査の際の基本的注意事項と危機管理

(1)戦争、紛争、文化的異質性からくる問題

 まず、国外で調査する場合には、他所の国で調査をさせていただくという謙虚な姿勢を忘れてはならない。現状の情報収集だけではなく、簡単な近代史や現代史、民族構成などのレビューをして、それぞれの国と人々の歴史の流れをつかんでおくことは、現地で得られる断片的な情報を解釈する場合にきわめて有効である。現地で話されている言葉については、体系的に学習しないまでも生き残りに必要な最低限の簡単な会話をマスターするに超したことはない。英語など国際語に堪能なひとほど、現地語をおろそかにしがちである。また宗教や習慣の異なる地域で調査を行う場合には、さまざまなタブーに触れないように慎重に行動すべきである。外国人だからといって寛容に対応してくれる場合も少なくないが、観光客ではないのだから節度ある態度をとるべきであろう。

(2)カウンターパートの依頼

 研究調査である以上は、相手国のカウンターパートなしで行うことは、最悪、国外退去や投獄などのたいへんなリスクを負う可能性があることは自覚しなければならない。カウンターパートに対しては、できれば研究機関同士の包括的な協定 (MOU: Memo-random of Understanding、MOA: Memo-random of Agreementと略称される)を締結したほうが望ましい。 その上で、あるいはそれがなくとも、それぞれの国の法令に違反しないように、事前に十分に調査の内容を伝えて、必要な許可(入域許可、調査許可、採集許可、輸出許可など)を得る必要がある。

(3)相手国の法令の把握

 外貨や調査機材の持ち込み制限がある国や、GPSや地図を所持しているだけで法令違反になる国がある。このような情報については、渡航前にカウンターパートや調査経験者に相談してアドバイスを受けたほうがよい。また、軍事施設はいうまでもなく、国境、港湾、空港、鉄道などに、むやみに立ち入ったり、写真を撮影したりしただけで公安に拘束される国もある。標本の無断持ち出しなどは、国内法はもとより、国際条約にも違反する場合があるとともに、論文発表にも支障が生じるため、論外といってよい。これらの法令違反は、当人の身の危険や研究の中断を招くだけでなく、当人の所属研究機関、さらには日本人研究者に対して、今後の調査研究活動に悪影響を与える場合すらあることを、肝に銘じるべきである。

 

 


Last modified: 木, 27 3月 2008 08時56分42秒 +0900 (JST)