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会長からのメッセージ −その27−

「和文の原著論文」

 この文章は前回の続きで、私の公約の二つ目、明るい自由な学会ということに関連しますが、具体的には日本生態学会誌の原著論文に関することです。巌佐 庸会長時代に和文誌(日本生態学会誌のことです)検討委員会が作られ、和文誌をどのようにすべきかが諮問されました。私はその委員長で議論をまとめた経緯があります。和文誌における原著論文をどうするのかについて、議論し、廃止論も強かったのですが、私は存続論で、結論として原著を残す方向で答申しました。それは、会員のなかで、英文の論文を書くことを主にして活動している方、あるいはそれをよしとする価値観をもっている人というのが、かならずしも大多数ではないということに基づくものです。その他の人は、英文論文を書くよりは、和文の論文、解説、普及の文書などを書くことを要請されている、と考えられるからです。これは英文を書く人がススンでいる、和文の人はオクレている。ということではなくて、まあ役割がちがうとか、異なるニッチを占めていると見た方がよい。私が以前居た職場は、研究所だったけれども、英文論文を書くことは必要ではなかった。今は違ってきているでしょうが、その当時は研究所の報告に和文の論文を書くこと、とりわけ普及誌に解説を解りやすく書くことが重要視されていた。現場の人、普及員などを意識すると、日本語の普及誌が一番大切であったからです。そこで答申には「博物館の学芸員、現場に近い普及のための機関の職員、中高校の先生など和文論文を必要とする方々」のためにも和文論文は必要である、というようなことを書いた記憶がある。それじゃそういう方々が和文論文を書いておられるのか?大串編集委員長が調べられたところでは、そうではない。日本生態学会誌に書いておられるのは主に大学関係者であった。それでも上記の方々が書かれる途を閉ざしてしまってはいけないし、大学関係者であれば和文論文を書いてはいけないということもない。特に、卒業していかれる方々が、卒論、修論などを発表するには手頃な目標になるかもしれない。ということで和文論文を受け付けていただく可能性は残してある。しかし、ハードルは高くて、「和文での発表が日本の生態学の発展と普及を図る上で効果があると編集委員会が判断した」場合という基準があって、現実に最近は和文論文が掲載されていない。

 上の経緯で解るように、実際に投稿してくる原稿も少なく、その著者も私たちが当初想定したような「なにより和文論文を必要とする」人たちでないことから「原著論文派」は今のところ劣勢である。この人たちが想定されているのは、英文を綴ることに比べれば「気楽に書ける同人誌」的な雑誌なのかな、という気がする。ではこういった希望は無視してもよいのか?必ずしもそうは言えない。いろいろな方向性を持った人がいてこそ、日本生態学会は力をもつことができるし、生態学の層が厚くなり、広がっていくのだろう。学問は、とりわけ生態学は一握りのトッププロだけで進展するものではない。広範なサポーターに支えられてこそ発展するのではないか。ではどうすればよいか?

 「原著論文派」の人たちには様々な選択肢がある。一つは実際に原著論文を投稿してくださることである。投稿しない原稿は絶対に掲載されない。「保全誌」に投稿することもできる。別の雑誌を作ることも可能である。その場合は「日本生態学会誌」は名前を変え、内容もより解りやすくして、書店にも置けるようにする。これとは別に、会員が書きやすい雑誌を作る。コストや労力が大変という場合は、電子媒体のみのネット上の雑誌にしてもよい。それでも投稿すれば直ぐに掲載されるというのでは、個人のホームページと同じで物足りないから、編集、審査を行う。体裁も雑誌らしく整える。といったことをすれば、やはりコストがかかる。電子媒体だけでは物足りない人には、実費で別刷りを作ってあげてもよい。常任委員会ではこういったことを、継続的に議論していこうとしています。

 実は、もっと簡単な選択肢がある。「日本生態学会誌」の次期編集委員長にあなたご自身が立候補されることです。

 では皆様、良いお年をお迎えください。