目次へ

会長からのメッセージ −その31−

「取材」

 前回のメッセージをお読みいただいた方は、僕が、相撲をとったり、将棋をさしたり、はたまた碁会に出たりと、遊んで暮らしていると思っておられるかもしれないが、なかなかそうではない。暇人を僭称しているが、じつは結構忙しいのだ。先週は立て続けに新聞記者の取材を受けた。

 一つは例の碁会で準優勝だったので、みんな並んで写真におさまった。これはその新聞社後援の催しなので、やむを得ない。翌日どこかに載っているかなと探したら、紙面の片隅にちいさく写っていた。翌日は、一昨年から2年間委員会で議論してきた白山市森林整備検討委員会の報告書を白山市長に答申するというセレモニー。白山市というのは一昨年の合併で、日本海の海岸側から白山の上までが市域になったという大面積市である。急膨張したものだから、これから全域を見渡した施策を考えていかなければならないのだろうな。私は隣町の町民であって、この町、白山市と金沢市という巨大市に挟まれて、飲み込まれずによく残ってくれたと感激するほど小さな町である。白山市は森林のほうも面積5万ヘクタールに達するという大面積があり、県民の水瓶としてのこの森林をどう保全していくかが重要なことなのです。委員会は材木屋さんとか、森林組合の理事とか、民間の社長とか、昔のなまえでいえば営林署の署長とか、林業試験場の場長とかのほかに、小学校の校長先生とか、主婦代表とかも加わってなかなか考えた構成になっている。議論もなかなかよい議論もしたとは思うが、実態は官僚主導というか、出席するまえに委員長である私の挨拶までがシナリオに書いてあるという会議である。実際はその通りにしないので多少は困っていたようだが、それもシナリオのなかに入っていたかも知れない。それはさておき、答申である。テレビのニュースなんかで時折見たような光景が、いささか滑稽感をともないながら展開された。その日のニュースに流れたかもしれないが、諸般の都合で見なかった。

 さてその翌日は朝日新聞の取材である。前の週に来るはずだったのが、記者の方が体調をくずされて、1週間ずれこんだのです。これは、日本生態学会会長への取材。さて、日本生態学会の他学会と比べてユニークな点はなにか。私は前にも書いたように自由闊達で明るい雰囲気だと思っている。服装でいえば、スーツ姿の人がすくなく、ジーパン姿が多いことか。しかし、学会に出席したことのない記者が外から見られたところでは、要望書などを多数出し、社会へ向けて発信していること、自由集会というものがあること、だという。

 要望書はいつ頃から出しているのか、今までにどれくらいだしたのか?学会が出来たのが、1953年ですから、その直後ぐらいから、ざっと100件近くになるのではないですか。と答えたけれども、正確な知識があるわけではない。後で、日本生態学会誌53巻2号、つまり50周年記念号ですね、に、当時の幹事長中根さんがまとめてくださった、実に便利な年表が出ていることに気づいた。50周年なのに何故53巻かということもこれをみれば解ります。最初に要望書が出たのが、1959年、50年間に80件以上に達している。その後も出ているから、100件近くはオーバーにしても、遠からずだ。このような要望書がどのように社会にインパクトを与えた、あるいは与えなかった、かなどを分析するのも、生態学会史上(あるいは生態学史上)重要なことではないかと思う。この記事は2月中旬頃に新聞に出るとのことです。

 自由集会というのも、生態学会大会の重要な特長になっているようだ。こんなのどこの学会でもできそうだけど、必ずしもそうではないのかもしれない。少なくとも昨今の自由集会は、とにかく申込数が多く、どこでも出来るような数ではなく、準備に当たる方々を悩ませている。仮に、申込数が会場準備数を超えた場合、審査して落とすなどはまずいだろう。だって、自由集会なんだから。とすると抽選以外にはないか。などという議論もなされていた。

 ところで、私の考えた、自由闊達なジーパンをはいた人たちの学会という特長と記者氏の見た、要望書を出す学会とはなにかつながりがあるのか。これが本日の考察のテーマだ。直接のつながりは見つけづらいが、関連はあるのではないか。生態学会の特長は、生態学関連で大した利権がないことである。公共工事や巨大研究資金、良い就職口などに結びついていない。学会長といっても力も金もない。若手会員は自分の力だけでこの世界に乗り出していくのだ。自分だけが頼みであれば、他人の鼻息をうかがうこともない。学会が利権につながっていないことが、自由とジーパンを保証してきたのであり、要望書を出すことは社会に対して一定の緊張感を持ち、ストレートに利権につながる学会でないことを鮮明にしてきたのだと思う。自由集会もまた自由を保証する一つの手段になってきたはずである。私たちが学会に賞を設けることに随分慎重であったのも、この理由による。選考委員のご機嫌をうかがわねばならぬようでは、学会賞を設けた意義が失われてしまう。

 しかし、これを口実に、学会の中心的な人たちが学会賞、巨大研究資金、良い就職口などを獲得する努力を怠ることは許されないだろう。

▲自転車置き場 大学には自転車で通っています。雪が降ると困るが、今年は降らないので楽です。