| 要旨トップ | 本企画の概要 | 日本生態学会第56回全国大会 (2009年3月,盛岡) 講演要旨


シンポジウム S16-2

花粉からみた縄文のクリ林

吉川昌伸(古代の森研究舎)

クリ属花粉は,縄文前期以降には東北や関東地方などの各地の遺跡で出現し,青森県の三内丸山遺跡や,宮城県里浜貝塚などで著しい優占を示す。三内丸山遺跡では複数の地点におけるクリ属花粉の優勢に基づき,集落内にほぼクリの純林が形成され数百年間にわたり維持,管理されていたことが推定されている。これら推定はクリ花粉が虫媒花で広域に散布し難いため樹冠から離れると急減すると考えられることによるが,実証的なデ−タは乏しい。

そこでクリ花粉の飛散を明らかにするために,山形県小国町のクリ林内と周辺の林床表層の花粉,および空中浮遊花粉を調査した。林床表層のクリ花粉の頻度(樹木花粉基数)は,クリ純林内で30%以上を占め,中央部では約60%以上の地点が多いが,クリ林の風下側では樹冠縁から約6mで10%以下,約20mで5%以下と急減し,約200mで1%以下になる。 また,クリ林内で空中浮遊しているクリ花粉は少なく,自然落下や雨水などによる強制落下により林床下に多く堆積している。つまり,空中浮遊花粉と林床表層花粉の結果は一致し,クリ花粉が極めて飛散し難いことが明らかになった。

クリ花粉の飛散状況から,三内丸山遺跡の集落内にほぼクリの純林が形成されていたことが明らかになった。さらに,南側に隣接する近野遺跡や西側約500mにある三内丸山(9)遺跡にもクリ林があったことは明らかで,縄文中期には三内丸山遺跡の周辺に広域にクリ林が広がっていたとみられる。さらに,クリ花粉は縄文前期以降には関東や東北地方の各地の遺跡で産出するため,遺跡を中心に広い範囲にクリ林が形成されていたと推定される。クリ林は縄文中期前半には低地の縁まで形成されていたが,縄文中期後半以降には低地の縁にトチノキ林が形成され,クリはその後背地の丘陵や台地に分布していた。


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