| 要旨トップ | 受賞講演 一覧 | 日本生態学会第64回全国大会 (2017年3月、東京) 講演要旨
ESJ64 Abstract


第21回 日本生態学会宮地賞受賞記念講演

海産ベントスの生活史:種内変異の研究からわかること

入江 貴博(東京大学大気海洋研究所)

表現型の種内変異に注目することは、分類学はもとより、進化のプロセスやパターンの解明に取り組む研究者にとって重要な情報を与えることが少なくない。中でも生活史形質は、一般に個体の適応度を大きく左右するため、その変異が示すパターンには何らかの「説明」が可能であると思わせる例が数多くある。種内変異の近接要因や究極要因の特定を目指した研究の大半は、生態学における多くの課題がそうであるように、昆虫などの陸上生物を対象に進められてきた。私は海洋生物を対象とした研究で生態学の発展に貢献することに興味があり、①陸上生物の研究で明らかになった知見が海洋生物にもあてはまるかどうか、②海洋生物に固有の形質の種内変異についてはどうか、という視点から研究を進めてきた。本講演では、これまで取り組んできたいくつかの研究課題のうち、タカラガイ類(軟体動物門腹足綱)の種内地理的変異についての話題を提供する。これは、潮間帯に生息するタカラガイが示す体サイズと貝殻形態の種内変異に関する研究で、その進化生態学的背景の理解を目指している。タカラガイは成熟に伴って体サイズの成長が完全に止まる決定成長の生物であり、成体の体サイズが高緯度ほど大きくなるという大規模なクラインに加えて、同緯度の異なる個体群間での平均サイズのばらつきと、同一個体群内での個体間変異が著しい。同様の現象は海洋生物の他の分類群でも生じている可能性が高いが、これまであまり注目されてこなかった。私は、タカラガイに見られるパターンを説明する上で、成長時の温度が高いほど最終的な体サイズが小さくなるという可塑性(環境変異)の影響が無視できないことを示す複数の証拠を集めてきた。温度と体サイズを結ぶこの可塑性は分類群の壁を越えて外温動物に広く見られるが(温度-サイズ則)、これが野外での体サイズ変異を説明する上で無視できないことを直接的に示した例は、海洋生物ではこれまで皆無だった。さらに、個体発生初期からの飼育と貝殻の成分分析を組み合わせることで、体サイズの全分散のうちで遺伝分散と温度に因る環境分散が占める割合をそれぞれ定量化するための試みについても紹介する。最後に、選択圧や環境の時間的空間的不均質性と幼生分散による移動を伴うメタ個体群構造の下で、海産ベントスが示す生活史形質の種内変異が維持される機構を統合的に理解するための今後の見通しについて述べたい。


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