| 要旨トップ | 目次 | 日本生態学会第69回全国大会 (2022年3月、福岡) 講演要旨
ESJ69 Abstract


一般講演(ポスター発表) P2-180  (Poster presentation)

淡路島中北部における明治時代以降の植生景観の変遷
Vegetation landscape change after Meiji era in the middle and northern parts of Awaji Island

*藤井奨太, 藤原道郎(兵庫県大院緑環境景観)
*Shota FUJII, Michiro FUJIHARA(Land. Design , Univ. of Hyogo)

対象地である兵庫県淡路市は古くから開発が進んだ地域であり、現存植生のほとんどが代償植生である一方で、気候的極相のシイ林も存在し、一部は保全対象にも指定されている。そのほかにもシイ林が成立しているが、いずれの成立過程も明らかではない。
人との関りを考慮したうえで成立過程を明らかにすることはOECMの考えにも通じ、今後の保全対象の選定にも役立つと考えられる。そこで本研究では淡路市のシイ林に着目し約130年間の変遷や分布の特徴を明らかにすることを目的とした。
現状のシイ林について環境省植生図などの既往の調査に加え、2020~2021年の空中写真を判読することで抽出した。抽出したシイ林について1896(明治29)年測量正式2万分の1地形図、1923(大正12)年測量正式2万5千分の1地形図、1975年撮影空中を用いて変遷を明らかにした。さらに現地調査を行うことで林分構造、推定樹齢、攪乱の影響を把握した。
その結果おおむね以下の3つに類型化できると考えられた。
1.薪炭林として利用されていたシイ林
明治期から現在にかけてシイが優占する常緑樹林が広がっていたと考えられる。現状では多幹個体が存在しており、妙見山や興隆寺地区など内陸部に分布していた。
2.非孤立の社叢等のシイ林
明治期、大正期においてはマツが優占し、1975年においてはマツと常緑樹広葉樹林が混交していた。現状で大径木が存在し、図像資料等から明治期にはすでにシイ林が成立するコアが存在したと考えられる。社叢として山麓や中腹に分布していた。
3.孤立した社叢等のシイ林
明治期、大正期においては広葉樹林や単木が存在し、1975年においては常緑樹広葉樹林に覆われていた。現状で大径木が存在し、図像資料等から明治期にはすでにシイ林が成立するコアが存在したと考えられる。周囲を水田に囲われた社叢やより地域的な祭祀空間として、平野部に分布していた。


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