| 要旨トップ | 日本生態学会全国大会 ESJ55 講演要旨


一般講演(ポスター発表) P1-017

約40年間における尾瀬ヶ原湿原の植生の変化

*森井悠,藤原一繪

本州最大の湿原である尾瀬ヶ原湿原はダム開発、道路開発の対象となったが、市民運動などで保護されてきた希少な湿原である.群馬県、福島県、新潟県の3県にまたがる尾瀬ヶ原湿原は1953年に特別保護地区、1960に特別天然記念物、そして2007年には日光国立公園の一部から尾瀬国立公園として指定された.人々の関心も高く多くの観光客が昔から訪れているが、その影響で湿原植生の裸地化現象が見られるようになり(宮脇 1967, 宮脇・藤原 1968,1969)、中田代十字路で大きく裸地が広がっていることが図化され、詳細な植生学的調査により植生図、植生遷移系列が解明された(宮脇・藤原 1970).本研究では1960年代にもっとも裸地化が激しかった中田代十字路を対象として、その後植生がどのように変化したかを明らかにし、要因を検討した.

尾瀬ヶ原湿原の中田代十字路付近において、35m×40mの1:100部分植生図を作成し、1970年作成の縮尺1:100の植生図を基に、植生の変化を調べた.また、植生図範囲内に5m×9mを1地点と5m×5mを2地点、計3つのプロットを作成し、50cmの格子状に含水率と地盤高をそれぞれ計測し、植生との対応を解析した.

調査の結果、裸地はほとんど消失し1970年の植生図では分布していなかったカワズスゲ−キダチミズゴケ群集、ヌマガヤ−イボミズゴケ群集スギバミズゴケ亜群集などのミズゴケ植生が見られ、湿原植生が回復している箇所が多いことが分かった.しかし、新たに湿原外から侵入したと見られるミヤマササガヤ群落やススキ群落の分布が木道沿いに見られた.また、窒素固定による富栄養化あるいは種間競争を通じて尾瀬ヶ原の植生に影響を与えるヤチヤナギ(前田 1998)の分布拡大も確認され、今後の湿原植生への影響が懸念される.微地形と植生、含水率と植生の相関は出なかった.

日本生態学会