| 要旨トップ | 日本生態学会全国大会 ESJ55 講演要旨


一般講演(ポスター発表) P1-266

南東北における江戸期のニホンジカの分布について

*伊藤愛(新潟大・院・自然科学),箕口秀夫(新潟大・農),三浦慎悟(早稲田大・人)

ニホンジカ(以下シカ)は近年全国で分布の拡大が報告されているが、東北地方では宮城県東部の金華山、岩手県南部の五葉山周辺を除き生息が確認されていない(第二回自然環境保全基礎調査、1981)。しかし、江戸期には秋田や仙台での藩主の狩猟記録や残存する文書からシカの生息が示唆されている。したがって、江戸期と現在との間の近世初期に、東北地方のシカの地域絶滅が、積雪等の自然的要因もしくは狩猟等の人為的要因により起こったものと考えられる。特に、何千頭ものシカを捕殺したという藩主の狩猟記録、また近世の開発を考えると、人がシカの生息域縮小に及ぼした影響は極めて大きいと考えられる。そこで本研究では、いつ、どのような人間活動がシカの生息分布に影響力を持っていたかを解明することを目的とし、文献調査により江戸期における宮城県、福島県、山形県、および新潟県のシカ分布域を推定した。具体的には、各県の図書館に所蔵されている市町村史等の主要な郷土史料その他に記された文書を渉猟し、シカの生息を示唆する記述を拾い出した。その結果、シカに関する記述が、4県で合わせて125冊の文献に見つかった。それらの記述は大きく1. 大規模な狩猟の記録、2. イノシシ、シカによる農作物被害、またそれを防ぐための鉄砲貸出に関する記録、3. シカのことが記録されている日記や詩歌、紀行文、および4. 江戸期に記録されたものではないが、シカの生息を示唆する記録、の4つに区分することができる。これらの文書に記録された場所を、地名が分かるもののみ地図上にポイントを落とし、その分布域を推定した。その結果、宮城県から福島県まで連続したシカの分布域が存在したこと、現在生息していない新潟県、山形県においてもシカが分布生息していたことが推察された。

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