| 要旨トップ | 目次 | 日本生態学会第66回全国大会 (2019年3月、神戸) 講演要旨
ESJ66 Abstract


一般講演(ポスター発表) P2-058  (Poster presentation)

房総丘陵、筑波山地における明治前期から後期にかけての草原の減少
Decrease of the Grassland from early to late Period of the Meiji Era in Boso Hills and Mt. Tsukuba Area

*小椋純一(京都精華大学)
*Jun-ichi OGURA(Kyoto Seika Univ.)

 日本の草原面積は,過去数十年間にも大きく減少したが,江戸幕府の命により作成された郷帳を元にした研究(水本 2003)などから,江戸時代の頃の国内の草原面積は,数十年前よりもはるかに大きかったと考えられる。その後,明治期を中心に草原が急速に減少していったところが多かったものと考えられるが,その減少過程については不明な部分が多い。
 本研究は,明治10年代に関東地方で測図された2万分の1地形図である迅速図と明治30年代に測図された旧版地形図をもとに,明治前期から後期にかけて,関東地方東部の房総丘陵と筑波山地において草原がどのように減少したかを明らかにしたものである。
 参謀本部測量課により明治13年(1880)から同19年(1886)にかけて作成された迅速図には,概念がわかりにくい植生記号がいくつもあるが,その概念については研究済みである(小椋 1996)。一方,迅速図は三角点を用いた正式な地形図でないため,測図の誤差がやや大きい部分があるといった問題もあるが,それについてはフォトショップ(Adobe社製)の自由変形機能を使うことにより,明治30年代の地形図の位置情報にできるだけ近づけるよう修正した。
 研究の結果,明治期の約20年間に,対象とした2地域の草原は大幅に減少したが,その減少には大きな地域差も見られた。すなわち,その間に草原が半減した房総丘陵については,その中東部(現在の勝浦市など)のあたりでは草原の減少が比較的少なかったのに対し,北部(現在の市原市など)では急激な草原の減少が見られた。また,南部でも草原が大きく減少したところもあった。一方,筑波山地では,その間にきわめて急激な草原の減少が見られ,草原は7分の1以下になった。

    小椋純一(1996):『植生からよむ日本人のくらし』雄山閣出版.
    水本邦彦(2003):『草山の語る近世』山川出版社.


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