日本生態学会

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第5回(2007年)日本生態学会功労賞受賞者

辻井 達一

 辻井達一氏は1990年1月〜1992年12月までの3年間,日本生態学会幹事長を務められました.この期間における学会としての大きな行事としては1990年8月に横浜で開催されたINTECOLがあり,当時の幹事長としてINTECOLの成功には辻井氏の貢献が大きかったことは言うまでもありません.また,Ecological Research誌の今日に見られる発展には,辻井幹事長の時代に発行を海外出版社に移したことがあげられます.1986年から日本生態学会の英文誌として発行されていたEcological Research誌を,1992年からはイギリスの出版社であるBlackwell社から発行するという思い切った改革をおこなわれました.Blackwell社との交渉には辻井氏も大変ご苦労されたようですが,Ecological Researchが国際誌としての評価を得るきっかけとなった出来事です.
 辻井氏が日本生態学会の発展に貢献したのは幹事長としてのご活躍にとどまりません.学会活動では日本生態学会誌の編集幹事や北海道地区会長などの重責を担い,また,社会への貢献は特筆すべきものがございます.辻井氏は,1960年4月より1988年4月までの長きにわたり北海道大学植物園に勤務され,北方少数民族が利用した植物を展示する北方民族植物標本園を作るなど,植物園の充実に尽力を尽くされました.また,植物園の専任教官および園長として植物の多様な世界について,広く一般市民に啓蒙するための活動も長い間,遂行されてきました.一方,研究面では,サロベツ湿原の調査に始まる一連の湿原生態系に関するご研究を長年続けてこられ,それらの成果を報告するとともに,講演や著作活動,マスメディアでのご発言などを通じて「湿原」,「湿原生態系」を一般の人々に認識・浸透させるための活動を行なってこられました.1985年からは当時計画されていた千歳川放水路計画が本当に有効かどうかを確かめるため,苫小牧市のウトナイ湖とウトナイ湖の集水域を流下する美々川の自然環境調査を行ない,「水系の多様性保全と管理」という新たな視点を提示し,保全と賢明な利用という観点での活動を進められました.現在では多様性,生態系管理,賢明な利用という言葉は,広く受け入れられておりますが,早い時期から生態学者としてこれらの課題に取り組まれております.このような環境行政や環境保護に寄与されてこられました功績が認められ,平成8年6月には環境庁長官より地域環境保全功労賞,平成14年9月には北海道功労賞が贈られました.
 以上のように,辻井 達一氏は日本生態学会の運営だけでなく,日本,とくに北海道の自然環境の保全や生態学の普及に力を尽くされてきたことから,日本生態学会功労賞にふさわしい方として推薦いたします.

只木 良也

 只木良也氏は1958年4月に日本生態学会に入会され,その会員歴は間もなく半世紀に至ろうとしています.この間,日本生態学会において,4回の全国委員,英文誌編集委員,監事を務められるとともに,1981年9月〜1983年12月まで,日本生態学会幹事長を務められました.
 幹事長時代には,当時の吉良竜夫会長のもと,生態学会の大規模化にともない年一回開催の全国委員会が開催できない日常の案件が増加したことから,小案件の検討やアドバイス等で事務局の運営をスムーズにする常任委員会の制度がスタートしました.また,生態学会誌に投稿した論文原稿に起因して日本生態学会が提訴される出来事があり,裁判所の呼び出しに応じて幹事長が学会代表として対応されたということがありました.本件に関しては,その後,円満解決に至っているそうです.第30回日本生態学会大会では,学会事務局自体が運営委員会を兼ね,幹事長が実行委員長格となって全国大会を挙行されました.そして,実行結果として生じた剰余金を学会本部へ寄付金として納入されるという学会財政への寄与をされました.
 只木氏の専門分野は,元々,森林を対象とする物質生産生態学ですが,それを基礎に環境学分野へも研究を展開されてきました.只木氏の「生態学」を基盤とした森林を中心とする様々な論文,著作,社会的貢献活動は,日本生態学会を身近な学会として多くの人々を惹き付けているといえます.たとえば,著作のあるものは高等学校国語教科書に一部採択され,またあるものは,全国読書感想文コンクールの課題図書として指定されています.生態学への基礎研究としての貢献とともにアウトリーチ活動への貢献は高く評価できます.
 以上のような理由から,只木良也氏を「日本生態学会」ならびに「生態学」への長年かつ多くの功労,貢献に鑑みて,日本生態学会功労賞にふさわしい方として推薦いたします.

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